2012/02/04

家族の距離

実家で母と二人、時間の許す限りどうでもいいことだの、大事なことだのごっちゃまぜでひたすらしゃべることが時々あります。

先日そんないつもの会話の中で、母が「NorahとEdward(オット仮称)の仲は、Norahと私の仲よりも深くなっているなってこの間思ったよ」と言いました。
何を言わんとしてるのか確認したくて「寂しい?」と聞いたら、「ううん、そうあるべきだと思うよ。うれしいよ」と言いました。でもなんだか母はちょっと寂しそうに見えました。

家に帰ってきて夕飯を作りながらもう一度母の言葉を考えていたら、なぜだか泣けてきました。

私もそうあるべきだと思います。でも小さいころから嬉しい事も悲しいこともなんでも一番に話して、一緒に喜んだり泣いたりしてくれた母の役目がいつのまにかオットとというパートナーに代わっていたことにあらためて気づきました。

もちろん、パートナーと母親という存在は比べられるものではないと思います。でも、母の言っていることもよくわかります。

これが巣立ちというものなのでしょうか。
ほろ苦いものなのですね。